まったく正常な妄想

備忘録。思考の吹き溜まり

ある芸術祭でのお葬式ごっこについて

↓、ー昨年の芸術祭のトゥゲッター。こっちの方がまだ面白い

 

多摩美術大学 芸術祭の出し物がクール過ぎて心配になるレベルだと話題に! - Togetterまとめ 

togetter.com

 

 

書き出しから私事で恐縮ではあるのだけど、僕は別の美術大学で芸術祭の実行委員会をやっていたことがあります。だから今回のことは本当に許せないし、当の実行委員会の方々を思うと本当に胸が痛むし、自分のとこでやられてたら絶対ぶん殴りに行ってる。ただ、一美大生として生意気を言うと「よくぞやってくれた!」という気持ちがほんのちょっっっっぴりないでもないです。二つの立場から思うことがある、ということ。

 

まず芸術祭について。どの美術系の学校も概ね共通しているは「日々の学生たちの研鑽の発表の場」であること。大体は課外活動の発表であるのだけど、学校や専攻によっては普段の課題の展示をしていたりカリキュラムに組み込まれています。そして、運営によって全ての展示や催しは管理されていてゲリラ行為の一切が禁止されていること。パフォーマンスがゲリラ的に見えても全て予定調和だったりします。芸術祭を運営する上で一番苦労するのがこれの管理監視だったりする…そして今回のこのパフォーマンスはゲリラ行為です

色々な意見や批判が飛び交っているけど、この葬式をすることの意味や意義は当事者タマビ(追記参照)がわかっている前提で論を展開します。でもやっぱりおフザケ半分でやってるように写ってしまう…こいつら楽しんでないか?そもそも僕はタマビの学生ではないので推論が多いです、そこはご容赦。

 

長くなったけど、ここまでを前提として話をします。

 

まずこのパフォーマンスの是非について

Twitterやまとめのコメントを見ている感じ非難が多いですね。僕も同意見です。まあそもそも葬式という行為を好意的に受け入れる人間の方が少ないと思いますけど。あと、件のエンブレムを葬式みたいだと言っていた連中がいたことを僕は忘れないからな

それはさておき、運営の立場として言わせてもらうと「絶対に許さない」 悪趣味だし胸糞悪くするし学校の品格まで貶める最悪の行為です。風評被害受ける立場が一番しんどいんだって。自分が責任を負いきれるのならまだしも、芸術祭という場で世間からどう見られているのか想像ができないのは幼稚の極みです。

こっからが問題。一人の美術大学に通う学生として言わせてもらうと、よくぞやってくれた!」という気持ちがほんのちょっっっっぴりないでもない。うわあ、ここだけ切り取るとめちゃめちゃ語弊がある! 理由は後述します。

 

あの葬式は何を弔った

これについて様々な推論が飛び交っていますね。中でも一番共感できたのは

 

このツイートです。

「”無知な一般市民(言い方悪いけど)”のしでかした件のデザイナーへの過度なバッシング」

昨年のあの騒動を言い換え表現として「葬式」という行為にたどり着いたのでは?とも考えらるのです。

あの事件は本当に煮え切らなかった。理解を求めないデザイン業界とデザインを理解しようとしないその他大勢の双方に腹が立ったのを覚えています。どちらもが歩み寄ろうとしないまま葬り去ろうとしていた。

で、何で「よくぞやってくれた!」という気持ちがほんのちょっっっっぴりないでもないのか。という話になるのですが、彼らはこのまま文字通り忘れられて葬られていようとしていたデザインへの理解業界がとるべき誠実な姿勢を痛烈な皮肉でもってほじくり返して全方位に中指立ている。僕が調べた範囲では学校側の対応もうやむやだったと記憶しています(ちゃんとした声明を発表していたならごめんなさい)。そこに一石を投じたことは賞賛されるべきかな、とほんのちょっっっっぴり思わないでもないのです。あれ小物とか衣装とか結構しっかりしてましたね。非難を承知でああいうことをやるのは流石。という感じです。

でもやっぱり本人を遺影にするのは胸糞クソクソ悪い…個人的な総評としては、言いたいことはわかるけどそのやり方はない。無い。そもそも芸術祭のルールに則って無いからな!自由に表現するってそういう意味じゃねえから!

企画通らないのは自明の理だし。ていうか、あのエネルギー70,80年代なら普通に賞賛されてそうですよね。社会に迎合しないぜ!尖ってるぜ!みたいな。時代もあるんですかね。

それとこのパフォーマンスへの一連の反応なんですが、なんか違和感…それは別の機会に

 

内面を探ろうとしないで非難するのは性急だけどあのパフォーマンスは許さないし許されないよね、というお話でした。

 ◼︎追記◼︎

ソースつかめてませんが、タマビではない外部の団体という話がチラチラ出てますね…真相はどっちだ